昭和の父ちゃん
- 2020.03.21 Saturday
- 21:21
先日、次女の小学校卒業式があった。
当然、新型コロナウイルス対策で式の縮小化が図られ、参加した卒業生も全員マスク着用での参加。
保護者席と向かい合うように座っていたのだが、表情がわからない。
何だか異様な雰囲気を感じたが、それも仕方ない。。。
式が流れていく中で、ふと頭に浮かんだことがある。
それは娘が時々言っていた「私だけなんだよね。」という言葉。
どうも子どもは、いくつかのことで級友から珍しがられていたらしい。
その一つが「雑巾」の持ち物。
僕が子どものころは、雑巾は家庭で古くなったタオルを縫い付け、毎学期初めに持参していた。
ところが、僕が教師になった頃は、新品の真っ白な雑巾をもってくる児童がちらほら出始めた。
「真っ白な雑巾が店で売られている!?」衝撃を受けたのを覚えている。
そして教師十年目くらいの頃はその割合がかなり増え、「ボロくなったタオルを縫い付ける」という昔の当たり前が当たり前でなくなっていた。
「何かおかしい」と感じた僕は、高学年の家庭科でなみ縫いを学習した後は、毎回新学期の「宿題」として古タオルでの雑巾作り。
なんてことない。ものの15分もあればできること。買うなんておかしい。もったいないではないか!
今や娘の通う小学校では買ってくるのが当たり前らしく、家の古いタオルを自分で縫って持っていく娘は、級友から珍しがられているという。妻はあまりこだわりがなさそうで、これは僕の方針だ。
二つ目は「家にゲームがない」ということ。
娘があるとき「家にゲームがない」というと、級友から一斉に「えーっ!!」と驚かれたらしい。
さらには、学校で答えたアンケートにゲームに関する問いがあり、その選択肢に「ゲームをもっていない」という選択肢がなくて困ったという。。。ゲームを与えない理由はいずれブログで書こうと思う。
しかし、この二つの方針に娘から苦情や訴えがあったことはほとんど記憶にない。
このほかにも「うちだけ・・・」というのがいくつかあったような。。。
僕は昭和の父ちゃん。頑固なオヤジ。
昔から普遍的で大切なことは、これから先も大切なはずだ。寺子屋で、丁寧に伝えていきたいと思う。
寺子屋での雑巾縫い、やってみようかな。。。
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